Ingénue / k.d. lang
アンジャニュウ / k.d. ラング 1992年
進藤むつみのおすすめCD (vol.49)
もちろんこの "Ingénue" を含めての話になりますが、90年以降の k.d. lang を知る人には、元々彼女がカントリー・シンガーだったとは信じられないでしょう。単純に音楽のスタイルを変え、カントリーから離れていったから言うのではありません。幅の広いサウンド・アプローチといい、クオリティの高い楽曲といい、ひとつの、それも保守的なカントリーの枠に収めておくのは無理だよなと、あたしは思うんです。
実際彼女は、ちょっとしたカントリー・シンガーだったわけじゃないんですよね。インディからデビューした当時から、地元カナダでは「最も期待される女性シンガー」と注目され、メジャーデビュー後はグラミー賞の「最優秀カントリー女性ヴォーカル賞」を受賞する程の歌手だったんです。そんな k.d. が保守的なカントリー界から脱皮するには、大きな決心が必要だったでしょう。しかし、そこから開放された事で、大きく成長する彼女の姿を見る事ができたのだと思います。
k.d. lang & the Reclines 名義のアルバム "a Truly Western Experience" でデビューしたのは、84年の事でした。当時 Patsy Cline に心酔していたという彼女ですが、87年のメジャーデビュー盤 "Angel with a Lariat" では「T-Bone Burnett か Elvis Costello にプロデュースを頼みたかった」と言っているあたり、既にやりたい音楽はカントリーの枠に収まりきれないモノだったのかもしれません。
しかし、サードの "Shadowland" (88年) では、カントリー界の大御所 Owen Bradley を10年ぶりにプロデュースに復帰させるほど、彼女の才能は認められていました。そしてカントリー・チャートにヒット曲を送り込むかたわら、"Absolute Torch and Twang" (89年) では、前述したようにグラミーの「最優秀カントリー女性ヴォーカル賞」を受賞したのです。そのままの形の活動で満足ならば、彼女はこのまま同じ路線を続けていくべきだったのでしょう。
そんな彼女に転機が訪れたのは92年、この "Ingénue" の発表直後の事でした。前年に主演した映画 "Salmonberries" の影響もあったようですが(男装する女性を演じたそうです)、k.d. はゲイ&レズビアン専門誌上で、自身がレズビアンである事をカミングアウトしたのです。アルバムの発表直後・・・になるのですが、彼女の中に決心は出来ていたと思うし、だからこそ自分自身の精神を開放する事ができて、この美しいアルバムを作る事が出来たのだろうと思うんです。
そんな "Ingénue" には、様々なスタイルの曲が不思議なトーンで統一されています。ほのかにカントリーの風味があってもカントリーではないし、また、オルタナ・カントリーのアプローチとも違う。きっと彼女が子供の頃から聞いてきた音楽を全てシェイクした、あえて言うならば、やはりポップスと呼ぶべきなのでしょうね。
オープニングの "Save Me" でいえば、アコースティック・ギターとスティール・ギターの絡みは、まさにカントリーのモノかもしれません。だけど、あたしはこの曲からは、もっと時代を遡ったフォーク・シンガーの匂いを嗅ぐ事ができるんです。ただ、またそこに当て嵌めてしまうには無理がある、独特の世界がありますけどね。
そして不思議なトーンを統一しているのは、k.d. のヴォーカルの力でしょう。上手なんですよ。だけど、そういう事より、何処にも当て嵌まらないのにある存在感。ちょっと気怠気で、イノセントなのにセクシー。男性らしい側面を見せたかと思うと、この優しさは女性でなければ歌えないと思わせるトコロもあるんです。右でも左でもない、現在でも過去でもない、ただ、ふわふわ漂っているような感じは、彼女でなければ出す事はできない魅力だろうと思います。
次の "the Mind of Love" では、また違う景色を見せてくれます。そう、このアルバムの美しさって、映画音楽のような美しさなのかもしれません。ホントに曲によって、色んな景色が頭の中に浮かぶんですよね。これは共同プロデューサーとして名前を連ねている、Ben Mink の力によるものなのかもしれません。
k.d. とはデビュー当時からの付き合いになる Ben Mink は、この時期の彼女のサウンドには欠かせない存在でした。前後に発表したアルバムのプロデュースはもちろん、ほとんどの曲は2人の共作でした。そしてアレンジですよね。この映画音楽にも似た美しいアレンジは、まさに Ben Mink のモノだったと思うんです。
"Miss Chatelaine" の美しさは、なんと表現したら良いのでしょう。何でこんなに切ない気持ちにさせるのでしょうか。やはり映画音楽のようであり、クラシックのようであり、ポップであり、そんな曲を歌いこなしている、k.d. のヴォーカルの魅力に取り憑かれてしまいます。そしてこの曲の美しさは、歌詞の美しさでもあります。このアルバム以降、もっとずっと単純な詩の世界を綴っていく k.d. で、この時期はまだ深読みできる部分もあるのですが、ホントに素直な気持ちが伝わってくるんです。
"Wash Me Clean" の気怠さは、またちょっと特別。そして、異国情緒漂う "Still Thrives This Love" の世界も特別。色んな音楽ジャンルを飲み込みながら、色んな景色を見せてくれています。カントリー一色だった過去からは考えられないくらい、バラエティ豊かなアルバムです。
そして、彼女のキャリアで初めてポップチャートに入った (38位) "Constrant Craving" で、このアルバムは幕を降ろします。リズム感もあり、アルバム中で一番ポップな曲でしょう。まったく個人的な感想になりますが、あたし、自分でバンドをしてた時、こういうアレンジをしたかったんですよね。もう、リズムもギターも、ストリングスもヴァイブラフォンも・・・。いえ、ホントに個人的な感想なんですけど(笑)、あたしこの曲大好きなんです♪。
さて、色んな世界を見せてくれながら妙な統一感があるのは、彼女のヴォーカルの力だという話をしました。だけど、もう一つ「歌詞」の力もあるのかもしれません。なんてったって、テーマは「愛」と言っていますからね。そして、そんな色彩に包まれた傑作 "Ingénue" は、アルバムとしても彼女最高の18位を記録。そして、カミングアウトした事が何もなかったかのように、グラミー賞の今度はポップ部門で「最優秀女性ポップシンガー」を受賞したのでした。
k.d. は、94年のサントラ "Even Cowgirls Get the Blues" を挟んで、95年に "All You Can Eat" を発表。もう一歩ポップスに進んだサウンドを見せてくれます。ループを多用したこのアルバムは、淡々としていながら更に統一感のある世界を作っていて、"Ingénue" とは違う魅力のある傑作アルバムだったとあたしは思います。ただ、もうカントリーの欠片も感じられないかもしれませんね。クラブ・プレイ・チャートでヒットしたくらいですから。
そして、その後も絶大な評価を集めながら活動を続ける k.d. lang ですが、盟友 Ben Mink とのコンビは、その "All You Can Eat" が最後になってしまいます。どんな経緯だったのか分かりませんが、これはちょっと残念な事でした。うん、確かに彼女は才能あるミュージシャンなんです。それは何処に立っても、何処に向かったとしても同じだと思います。だけどね・・・、あたしにとって Ben Mink の評価って、スゴク高かったんですよね。だから、あたしにとってのお勧めは "Ingénue" なのは当然だけど、"All You Can Eat" までかなって思うんです。まあ、その後も聴き続けてはいますけどね♪。
- Ingénue
- 1. Save Me / 2. the Mind of Love / 3. Miss Chatelaine / 4. Wash Me Clean / 5. So It Shall Be / 6. Still Thrives This Love / 7. Season of Hollow Soul / 8. Outside Myself / 9. Tears of Love's Recall / 10. Constant Craving
- produced by Greg Penny, Ben Mink & k.d. lang / recorded at Vancouver Studios, Vancouver, BC, Canada
- k.d. lang (web site: http://www.kdlang.com/ )
- born Kathryn Dawn Lang on November 2, 1961 in Consort, Alberta, Canada.
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