赤いくつ
ひょんな事から絵本を手にしました。アンデルセンの赤いくつ。誰でも一度は読んだ事があると思います。もちろんあたしもね。だけど、意外に細かいトコを覚えてないんですよね。テレビや映画でも見た記憶はないし、ホントに子供の頃読んだだけなのかもしれません。もし、記憶が薄いな・・・という方がいらっしゃれば、青空文庫に赤いくつが全文収録されてるので、目を通していただければと思います。
あたしは絵本を見た時に思う事があって、そのあと新書版を買って読んだんですけど、スゴイですよね。ひとつひとつの出来事が、みんな次への伏線になっているんです。初めて赤い靴を履いたこと。王女さまの履いていた赤い靴。靴屋さんに並んでいた赤い靴。それを履かずにはいられない気持ちの高まりが、伝わってくるんです。そして踊りはじめるカーレン・・・。そんな物語はそれぞれ楽しんでいただくとして、あたしが感じたことをお話しさせてもらいたいと思います。
あたしは絵本に目にした時、こう思いました。『この娘はあたしだ!』って。そして、じっくりと新書版にも目を通して、ますますその思いを強くしたんです。赤い靴を履いちゃうんですよね。それを履いて教会に行っちゃうんです。教会にいても、赤い靴の事ばかり考えているんです。奥さまの具合が悪いのに、舞踏会に出掛けてしまうんです。まったく、あたしに当てはまることばかり書いてあるんです。
もちろん、あたしにとっての赤い靴は『女装』です。童話って、誰にでも思い当たるように書いてあるのかも知れません。だけど、先に触れた事ばかりでなく、『黒いくつを見て、それから赤いくつを見て、もういちど赤いくつを見て、とうとうそれをはいてしまいました』なんて件は、こんな風に言い換えられると思うんです。『地味な背広を見て、それから可愛いワンピースを見て、もう一度ワンピースを見て、とうとうそれを着てしまいました』ってね。
カーレンは赤い靴を脱げなくなり、踊り続けることになります。青くなって冷たくなって骸骨になるまで、踊り続けなければいけなくなるんです。あたしにとっての赤い靴が『女装』なら、踊り続けることは『女性ホルモン剤の服用』です。真っ暗な闇の中も、茨の切り株の中でも、かまわず踊り続けています。だって、止めることはできないんですもの。あたしは、長いことそれを夢を見ていたんですからね。カーレンは「斧で足を切って」とお願いしたけれど、あたしはそんな事は全然考えてもいないんです。
実は、赤い靴の物語をはじめて読む時に、朗読をしてみたんですね。そんなに長い話じゃないし、一言ずつかみしめてみたいと思って。そうしたら、あるところで胸がいっぱいになっちゃって、それ以上読めなくなってしまいました。あと数行がダメなんですよ。訳のせいもあるかと思って、今度は青空文庫を朗読してみました。それでも、やっぱり同じとこでつまってしまいます。何度繰り返してもそうなんですよね。それは、青空文庫で言うと下から6〜7行目。こんなセリフがあるところでした。
「カレン、よくまあ、ここへきましたね。」といいました。
「これも神さまのお恵みでございます。」とカレンはいいました。
なんだ?。あたしは救われたいのか?。ずっとわがままに、ムリやり自分の思う事を通して生きてきたのに、救われたいなんて思っているのか?。「斧で足を切って」なんて言う勇気もないくせに。それどころか踊り続けたいから、罪を悔い改める事ができなくなっても、首を落としてほしいとさえ思ってるくらいなのに。
そんなことを考えていたら、なんか涙が止まらなくなっちゃったんです。
そのセリフがどういう状況で言われるのか知りませんが。全てが神の御心のままというのなら、女装もまた神のご意思でしょう。
S&GのMrs. Robinsonに、「Jesus loves you more than you will know.」という歌詞もありますし。
私はもう、自分に関しては「こういう生き物」なんだ」と割り切ることにしています。例えばフェレットは交尾しないと自家中毒を起こして死にます。ハムスターは餌や異性を探す為に毎日数キロ走り回る習性なので、ペット化されてすらケージの中で回し車を憑かれたように回していないと体調が悪くなります。私はバンドマンとしか恋が出来ませんが、「異種交配は出来ないからw」と開き直っています。
むつみさんも「そういう生き物」なんですよ。だったら仕方ないじゃないですか。踊り続ける生き物なら、上手にきれいに踊ってください。
踊りたいのを我慢してうずうずしていると、「自家中毒」を起こしちゃいますよw
>Screaming Bunnyさん♪
直接このセリフに反応してるのか、それとも物語の盛り上がりに我慢できなくなっているのか微妙で、自分でもチョット分からないんです。ただ、このセリフの後の一言一言が、あたしの心に染みてくるんですよね。日記にする事ができるまで落ち着いてきたので、もう少し読み深めたいと思います。
・・・神のご意志かは分かりませんけどね。
『そういう生き物』っていうのは、ここ数年やっと割り切れるようになりました。あたし風に言えば『こんな奴』って感じかな。そう思った以降も新しい躊躇いや悩みや、色んな事が起きます。だけど、一番ベースになる部分で割り切れたから、スゴク楽になったんですよね。あたしは女装するんです。薬も始めちゃったんです。それはしょうがないんです。こんな奴なんですから。
女装する人の中には、『こんな事をしていちゃいけない!』っていう悩みを持ってる人も多いと思います。罪悪感までも感じちゃうんですよね。若い頃そこから逃げるために、あたしは『何もなかった』事にしてしまいました。ずっと、自分と見つめ合わずに生きてきた。それが、今のあたしに影響を落としてるんですよね。ちょっとした出来事にも戸惑って、気持ちが上がったり下がったりしている。割り切ったんですからね、少しずつでも解決していかなければと思うんです。
それと、そうですね。自分で踊りはじめたんですから、綺麗に踊りたいですよね。少なくても、躍らされる事はないようにしたいと思います。
今詳細はよく思い出せないんですが、確か凄く『理不尽』な話だと思った記憶があります。 彼女がどうしてこのような“罰”を受けなければならなかったのか、どうしても納得できない思いが残ったんですよね。 後年になってこれが『女の性』に対する揶揄だったのではないかと思い当たりまして、更に複雑な思いになったんですけどね。 アンデルセンは余程酷く女性に傷付けられたのではないだろうか?と思っています。
貞淑を強要され子供の世話や家族の介護などで縛り付けられていた女性が“開放”を求める情念が『赤い靴』として表現されている。 そう解釈しちゃっているんですよ。 それは男性のみならず、社会そのものにとっても“脅威”であった筈ですから。 だから彼女は“罰”せられた。 それをわしは『理不尽』と感じたのでしょう。
『赤い靴』を履くのは“罪”なのでしょうか? わしはずっと疑問に思っています。 勿論家族は大切です。 『家族』を守る為には『靴』を諦めなければならない時もあるかも知れません。 しかし『靴』を履きたいと願う気持ちは“罪”なんかじゃない。 履いてしまえば“罰”が下る事もあるかも知れないけれど、決してそれを望む気持ちを後ろめたく思う事など無いと思うんですよね。 それは女性の生き方に限定された事では無いと思うんです。
>usagi3さん♪
うーん・・・理不尽といってしまえば、まさにその通りなんです。だけど、カーレンが罪を重ねていく様は、物語の中に細かく描かれているんですよね。そして、罰。足を切り落とした後にこそ罰があるんだけど、それは彼女がまだ甘く考えているから、いつもまでも救われないような気がするんです・・・って、あたしは素直に感動しちゃったんですけども。
だけど、アンデルセンが没して130年って事は、少なくても130年以上前に書かれた物語なのか。男にとって、社会にとって脅威・・・。現代にしても当てはまるような気がするんだから、時代を思えばそういう風に考えられるかもしれませんね。いや、だけど、その時代に赤い靴を履いて教会に行っちゃう彼女がスゴイ・・・。
あたしは、赤い靴を願うのは罪じゃないと思います。もちろん赤い靴を履く事も、赤い靴を履いて踊る事だって。理想と現実のバランスだと思うんですよね。理想だけを追うわけにはいかない・・・。現実をないがしろにしてまで、赤い靴は履けないんじゃないでしょうか?。
そして、そのバランスの上で赤い靴を履くとして、いえ、例え何も考えていないとしても、必ずしも履けば罰があるわけじゃないと思います。だけど、赤い靴を履くのならば、あたしは何が起こったとしても受け止めなければいけないと思うんですよね。
むつみが、わがままなどを服用したかった。
pecoちゃん・・・・(あせ) そりゃキツいって・・・・(滝汗)
うちの小チョビみたく能無しなのもどうかと思うけど、pecoちゃんは賢すぎ☆
>peco♪
わがままはね、服用しなくたって、体の中で思いきり作られるのよ☆
>usagi3さん♪
まったく、この性格は誰に似たんでしょうか?。クリックすれば『無実』とか言ってるし・・・(笑)。
あっ・・・あの、今、pecoちゃん呼んでみたら、ひと言「限界」って言われました。
・・・・・・・・・・・・・・・o(T◇T)o
>Screaming Bunnyさん♪
『限界』でしたか?(笑)。絶対この子、わかってて言ってると思います。
でも・・・あたしはやっぱり、世界中のBlogPetでpecoが一番可愛いんですよね♪