あたしは今、あたしの中にいる

すみません、長いです。・・・重いです。

先週末に考え事をはじめたんです。そうしたら、『ぶわ〜っ!』って色んな事を思いついちゃって、それでまた色んな事を思い出しちゃったりして、「あ・・・もう、いっぱい」な状況になってしまいました。ここ半年くらい繰り返し起きる事で、自分でも情けないと思っています。プラス・マイナスの気持ちの振り方に、自分で付いていけなくなっているのは、もしかしたら先月お話した薬の影響もあるのかもしれません。だけど、いい年をして感情を抑えられない原因に、ひとつ思い当たる事があるんです。暗くて重い話になりますが、どうか聞いていただきたいと思います。


実家での友人に、あたしが姉と慕っている人がいます。彼女もあたしの事を、弟と思ってくれています。・・・まあ、弟なんですよね。あたしが女装する事を含めて、あたしの本質に当たる事は話す事ができません。「肝心な話は抜き」で慕っているなんていうと笑われそうですが、それ以外ではかなり突っ込んだ話しもするし、過去に話をしたおかげで解決した悩みもあります。そんな彼女と最近盛り上がった話題は、「自分の本質が壊れないための二重人格」でした。

彼女は少女時代のトラウマから、素の自分を表に出す事ができずに、自分の廻りにバリアを張ったそうです。「自分の上に、もう一枚自分の殻を着ていた」という言い方をしていました。全てを『殻』が対応してくれたから、本質の自分は傷つかなかったといいます。良い悪いという話ではなく、彼女は自分を守るために、そうしてきたという事です。20年、30年と殻を着続けて、最近ちょっとだけ自分を出せるようになり、そして素の自分が出るようになってから、泣いたり笑ったり、感情が抑えられない事があるんだそうです。そう、これがあたしと同じなんです。


あたしの場合、彼女ほど重い思いはありませんでしたが、二重人格な人生を歩んできました。女でありたい自分と、生まれながらの男の自分の二つです。

「自分が女でない事」に一番違和感を感じていたのは、二十歳くらいの時でした。この時、二つの自分を処理するために、色んな方法が考えられたんだと思います。だけど、あたしがとった方法は『否定』でした。あたしは・・・女でありたい自分(それが本質だと思います)を、なかった事にしてしまいました。あたしは本質の自分でない『ガワ』だけで生きてきたんです。

『本質』・・・女でいたい自分
『ガワ』・・・男として社会生活をしている自分
 そういう言い方をさせてください。

自分の気持ちは抑えられないんです。そして、二つの人格がひとつの体の中に同居していたら、いつかは『本質』に支配されてしまう。そこまでいかなくても、ポロッと出てしまう事もあるだろう。あたしは、『本質』は絶対表に出たらいけないと思っていました。出てしまったら、社会生活ができなくなるくらいの感覚でした。

どうしたらいい?、・・・ない事にしてしまおう!。『本質』の入ってない、『ガワ』だけで生きていければいいんだ。ない・・・まででなくても、出掛ける時は家に置いてきてしまおう。そんな風に考えたんです。あたしは99%以上の時間で『本質』を否定しました。呼び戻したのは、たまに女装する時だけでした。そして、できれば『本質』を抹殺したいとさえ考えていたほどでした。

あたしは少なくても20代の10年間、『ガワ』だけで生きていました。家族の前や友人と会う時はもちろん、恋愛をする時にも『本質』のない『ガワ』でした。仕事をする時も『本質』の自分は一緒にいませんでした。「感情が出にくい」と言われた事があります。それはそうです。『ガワ』なんですから。冷静・・・特に仕事をしている時には、冷静だと言われました。これも当然です。だって、他人事なんですから。

この状況から抜け出せたのは、なんと『本質』が暴れ出したからでした。たまに女装するだけじゃイヤだよ、一人で散歩するのは飽きちゃったよ。だんだん『本質』が『ガワ』に入っている時間が長くなってきました。そして『本質』を抱えたままで、他の人と会えるようになってきました。・・・というか、会わないではいられなくなってきたんです。今まで否定してきた事を、肯定できるようになってきました。


さて、感情を抑えられない話です。

あたしの『本質』が『ガワ』の中に戻ってきて、ここ数年で色んな事がありました。もちろん、過去にもあったような事なんです。だけど、過去に経験した事があるのは『ガワ』だけなんですよね。『本質』にとっては、それは初めて経験する事ばかりでした。特にここ1〜2年の、自分の中や廻りの変化は大きかったんです。そして、普段の生活で『本質』が表に出ないのは変わらないにしても、だんだん『ガワ』と一緒に行動するようになってきました。

そこで思うのは、20代の本来感情が豊かな時に、経験しなければいけない事があったはずなんです。それをあたしは、流してきちゃったんだと思います。全てを『ガワ』だけに任してね。いい年齢のわりには、経験不足なんでしょう。対社会のような体面は大丈夫なんです。だけどプライベートな部分では、初めて出会う事に戸惑っちゃってるんだと思います。

例えば去年の秋、胸がいっぱいになって涙が止まらなくなった事がありました。その時あたしは、いったいどうしちゃったのかと思ったんです。だけどこれって、ただ初めて「胸がいっぱい」になっただけなんだと思います。「胸がいっぱいになる」って事は知っていたつもりだったけど、この時に比べたら1/100以下のレベルでした。

喜び、怒り、哀しみ、楽しさ・・・。弾むような気持ち、息苦しい、笑いが止まらない、何も手に付かない、ヘコム、胸がいっぱいになる、居ても立ってもいられない・・・。なんていうか、最近になって初めて人間になったような気がします。今までのあたしは、感情のない人形だったんだと思うんです。

感情を抑えられない原因のひとつ・・・。甘いって言われそうですけどね。今一生懸命、感情を上手に出せるように、そして感情を受け止められるよう、練習している最中だからなんです。まったく、子供みたいなあたしなんです。


お休みしたのも短かったから、何もお話せずに再開しようかと思ったんです。時間がかかりそうな気がしたけど、意外に早く抜け出しましたから。だけど、ちょっとだけお話するつもりで、こんな長文になってしまいました。つまらない話で失礼しました。明日から普通に更新していくつもりです。

posted by 進藤むつみ on Spring, 2005 in T's

comments (12)

「ガワ」も「本質」も貴方です・・・なんて陳腐な事は言うつもりありません。
社会生活をする上で、まして「親より先に死なない」とむつみさんが明記した上での事ですものね。
感情と実務、個人と社会性は、そのむつみさんの信頼する女性のされていたように、それぞれのやり方、方法があって、何が正しいとか、何が充分だとかは、一概に言えない。
ただ。むつみさんの場合、その方法論、道は、自ずと狭くなるのは仕方のない事だし、当然の事のようにも思います。
むつみさんは、いえちょっと不遜な言い方を承知で書かせてもらえば、私も。「カテゴリ」を自分で創ろうとすれば、そりゃあ生みの苦しみです。
「気付いてしまう事」「どうしようもなくそうでしかない自分」ってのは、言葉遊びが追いつかない程、しんどい。
それでも。
それでもです。
むつみさんは大丈夫だと、おかしな確信を持って、私はこの文を読みました。

>kazooさん♪
お話する中で、時々触れる事はあったんです。kazooさんともひと月くらい前かしら、「過去の全ての段階をクリアしてこなかった事に、キチンと向かい合わなかった部分に、今になって足を引っ張られてる」・・・ってお話した事があったんですけど(恋愛論からの発展かな?)、『どうして』という事までキチンと説明してなかったんです。だけど、いつかお話したいっていう思いと、こんな事まで言う必要ないかって思いの間で、ズルズルと今まで過ぎてしまいました。
今あたしが戸惑っている事って、きっとたいした事ないんです。みんな、どこかでクリアしてきてるんだと思います。だから気楽に・・・とは、やっぱりいかないんですよね。いや、もう、時々繰り返すマイナスだけじゃなくて、毎日結構苦しいんです。夜が重いんです。
『姉』は、「こういう感情が持てるようになって良かった」って言っています。「間に合って良かった」ってね。彼女はあたしより半年くらい早く、二重人格から抜け出せたのかな?。だけどね、あたしはまだそこまでは達観できないんですよ。まだ少しかかりそう・・・。だって、まだ「こんな感情を持つくらいなら、死ぬまで知らない方が良かった」って感じてるくらいですから。
過去に関して言えば、拘りが強すぎたと思います。一人で抱えちゃうのは問題ですね。しかも、今よりずっと融通が利かないタイプだったし。
それと「状況から抜け出せたのは、本質が暴れ出したから」と流しちゃいましたけど、実はこれも簡単に言えるような事ではありませんでした。ただ、長くなりそうだし、そこまでは必要ないと思って、今回のお話では触れませんでした。
うん、たぶん大丈夫なんだと思います。・・・あたしは、確信はもてませんけど。

状況が完全には飲み込めないまま、中途半端な応えは書きたくないから。判らない事は判らないと言う事が誠意に繋がると信じて。だから、あくまでも、私の事を書きます。読み飛ばして下さい。
とてもとても欲しい人がいました。
とてもとても。
で、一生懸命伝えて、理解してもらって、いい感じになって。
でも、手に入りませんでした。
それは、彼が原因ではありませんでした。
私が原因でもありませんでした。
どうしようもない事。でも、諦め切れませんでした。なのに。
私の方から手を離しました。それは綺麗ごとではなく。それから何年なんてもう数えるのもおかしい時間が流れて。私は酔っ払っていたのかもしれない。単純に。
ただ。とても闇は深かった。本物だと確信しても、諦めなければならないと、人は笑って取り繕う事を覚えます。仕事が救いでした。
沢山の沢山の涙や酔いや諦めのトンネルは、終わったと思ったのに、今度は違うトンネルに続いているようで。暗闇の本当に真ん中に座ると、これが、この闇がいつか終わるなんて信じられません。
それでも。それでもだと私は思いました。作り笑いでも、笑っていなければ。明日は明るい日と書くのだそうです。
誰にもあって、そしてむつみさんだけの闇。誰にもあって、そして私だけの闇。
陳腐な状況だと、陳腐な闇だと自分を笑うのが嫌で、私は独りを選びました。でも、それって一体何の証明でしょう??
結局の所、臆病な自分を証明しただけなのかもしれない。
そんな私が、「むつみさん、何となくちょっと判ります」なんて書いちゃいけないかな~?
状況なんてくだらないと言い切る強さが欲しい。
そんな風に思っています。

結局の所・・・正直でいるしか道はない。
正直でありさえすれば、愚直でも、失敗しても、「納得」だけは手に入る。そういう風に、この頃は思っているのですけれど。

  やや・・。  こんな窮屈な状況に更にややこしい奴が入ってくるのはやっぱよろしくないんですけど、わしね、最近ある人が何気に言ってくれた言葉が凄く嬉しかったんですよね。  とっても楽にしてくれたんです。  でもね、わしと言う人間は楽になるとすぐ甘えちゃうんですよね。  結局迷惑かけちゃったかなと思って申し訳なく思っているんですけど、ほら、言い訳しないとか迷惑かけないだとかな自分になるまで喋らないなんて言ってたら、きっと死ぬまで喋れないんだろうなと思ってね。  ま、結局自分で勝手に自爆したんですけど(爆)

  わしは自分が『薄っぺらい』事にずっと悩んでる訳ですわ。  どうしようもなく『薄っぺらく』て、人に悟られるのが怖くて、でもすぐばれて、『大したこと無い奴』とすぐばれて、で、ヘラヘラ笑ってしまうんだよね。  他人から見りゃ『大したこと無い』悩みです。  生きる事には何の影響も無い、『幸せな悩み人』  そんなこと位しか悩みが無い情けない奴。  だから悩みに重い軽いなんて無いよ、と言って貰ったら嬉しかった。  ただ、そんだけだったんだけど、今はもう伝えられない。

  『薄っぺらい』から直ぐに一杯になりますよ。  『嬉しい』も『哀しい』も『嫌い』も『好き』も。  一杯になって溢れてしまう。  うちのブログは全くそれです。  こんな『薄っぺらい』ページにもちらほらと優しい客様がきて下さると、また直ぐ『幸せ』が一杯になります。  だれも来てくれないと『寂しい』で一杯になります。  だから遊びに出ます。  こちらにも。  あちらにも。

  や・・・(汗)まずいな。  これでは返事が書き辛いでしょ。  ま、要するにだ。  生きてるんだから、可能な限りいろんな気持ちを味あわなきゃ損でしょ!って事でね。  その為にはちょっと位は人に迷惑かけるのもアリだし、迷惑かけたならシッペが来るのはキマリなんだからそれだって生きてる実感に『変換』出来ると思うんですよね。  『起伏』は生きてる証です。  工夫して愉しんじゃおうよ♪  

あ〜でも私なんかも最近、意外と自分の事が見えてなかったなあ、と
思う時がたくさんあって、けっこう傷ついたりしてます。自分で自分は
こうだ!と思ってたのが、違ってた・・・私のガワはそんな感じでしょうか。
無意識に作ってたガワの中の弱すぎる本質を、そろそろ認めて、出して
叩かれて、強くしていかなきゃならない時が来たかもって感じです。
むつみさんも練習してることだし、私も頑張ろう!一人じゃなくて心強いです☆

レス、遅くなりました。

>kazooさん♪
あたしが中途半端なエントリーを書いちゃいましたね。すみません。
ただ、抜け出した事、暴れ出した事、だんだん入ってきた事、抱えずにはいられなくなった事、そして感情を抑えられなくなったまでの経緯・・・。どれひとつとっても、ひと言で説明できる事ではないどころか、このエントリーより長りそうな内容なんです。「感情を抑えられなくなった原因」の意味は、ここまででわかっていただけると思い、今回の話の中では見送らせてもらいました。今回以上に濃い内容のものもあるし、自分の中で解決してない事もあるので、また機会を改めてお話させてもらいたいと思うんです。
それよりもkazooさんのコメントに、どう反応していいのでしょうか。
ただ自分で戸惑っているだけで、あたしの悩みなんて、たいした事ないと思っています。女でない・・・、それだけなんです。それが問題でなかったら、きっと他の事で悩んでいただけだと思います。
そして・・・あたしは、トンネルは抜け出しているんです。
あたしにとってのトンネルを出たのは、去年の春に薬の服用をはじめた時でした。副作用の事も含め長い事迷ってきて、目の前が明るくなったような気がしました。前に「口に含んだ瞬間、とても嬉しくなったのを覚えている」とお話しましたが、ホントにその通りだったんです。ただ・・・トンネルが続く事はなかったけど、トンネルを抜けたら暴風域だった感じでしょうか。
人生に絶対はないのでしょう。それでも自分が信じている道ならば、歩いていけるはずです。・・・はずなんですよね。だけど、迷いの多いあたしは何なんだろう。
グズグズと同じところを廻るだけで、結局、それが楽なのかと思ってしまう事もあります。また、もしかしたら逃げているだけなのかもしれないと思う事もあります。
臆病な自分?・・・。ホント、あたしこそ証明しているのかもしれません。
強い自分になりたいです。

「正直でありさえすれば、愚直でも、失敗しても、納得だけは手に入る」・・・。
そのとおりかもしれません。


>usagi3さん♪
あたし・・・薄いですよ(笑)。しかも、どうしようもなく大した事ない人間です。
悩みに思い軽いなんてないって言うのはそうなのかもしれないし、そう思うと少し楽になれるような気がします。実際、本当に深く傷付いてる人にとっては、あたしの悩みなんて我が儘なだけに見えるかもしれません。いえ、もっと簡単な話、性違和感を理解できない人にとっても同じでしょうね。だけど、あたしにとっては目一杯なんですよね。
だから、「悩んでます!」って大声で言うのは恥ずかしいけど、ちょっとだけ聞いてもらいたいと思うんです。
直ぐに一杯になるのも、いろんな気持ちが溢れだしてくるのも一緒です。
だけど、あたしはまだその気持ちを、冷静に受け止める事はできないんです。前にお話しした事もありますが、やっぱりあたしは「死ぬまで知らなくても良かった」と思っちゃうんですよね。もうホントに苦しくて、感情を持て余してしまっています。
迷惑・・・かけちゃってますよね。ちょっと位でなくて。ただ、この日記でお話できている事で、確かにあたしは救われています。話を聞いていただいて、声をかけていただく事がなければ、ずっと悪い方向に行っていたと思うんです。


>まろさん♪
先月、まろさんが過去を振り切って歩き出した時、「なんていう力強さ!」と思いました。それは、意地を張っていただけなのかもしれませんが、あたしは憧れる気持ちで見ていたんです。そうか、歩き出さなきゃいけないんだ・・・って。
思うだけで、あたしは歩き出せないまま、まだこんなトコロにいるんですけどね。
本質にしろガワにしろ、自分で見切る事は難しいのかもしれません。今回のあたしの話は、少し時間がたった事だから、冷静な言い方ができてると思うんです。また、数年経って今を振り返ったら、違ってくるかもしれないしね。
強くなりたい・・・ホントに強くなりたい。
歩き出しているまろさんを、早く追いかけられるようになりたいと思っています。

いやいや、人様のブログにちょっと失礼なコメントでした。ごめんなさい。
私が言いたかったのは、誰しも何かしら抱え込んでいるものだけれども、その中に普遍の真理とでもいうべき「何か」があるんじゃないか。ひょっとしたら、状況は違っても、ある程度の基準に達した人にとっては、(と書くと選民的で嫌らしく響くかもしれませんが、決してそうではなく、人として許容量以上の感情の揺さぶりを経験し、それをまがりなりにも「咀嚼しよう」と意志を持った人間という事ですが。)何かが呼応するのではないかと。
私の方法、むつみさんの方法、また違う方の方法、それは必ずしもリンクしきれるものではないかもしれないけれど。
ただ、明日という日が明るい日・・・にするのもしないのも、やはり自分の「納得」次第のような気もするのです。
例えどしゃぶりの日であっても。
むつみさんが立たれた2度目のスタート地点から、ゴールは見えないかもしれないけれど、でも「納得」のゴールである事を、少しばかり共感しながら祈っていると、お伝えしたかったのでした。

>kazooさん♪
いえ、失礼なんて事はありません。ただ、どうしたら良いのかって、あたしももう少しお話しするべきなのかなって考えていました。
中途半端なのは、あたしも思っているんです。だけどこれ以上お話した時に、kazooさんはじめ常連さんには理解いただいてるけど、中にはいきなり目にする方もあるかもしれない。そんな方に、不快感を与えるような話で良いのかって考えていました。まあ、いつかお話する事があるのなら、同じなのかもしれませんが・・・。
普遍の真理・・・、どうなのでしょうか。
あたしは自分の悩みさえ咀嚼しきれずに、うろうろしています。咀嚼したいとは思っていますが、今現在は、ただ逃げているだけかもしれません。感情の揺さぶりにしても、あたしの許容量が小さいだけかもしれません。
そんなあたしが思う事なのですが、人それぞれという気もするんです。良い・悪いの基準が違う、またそれぞれの方の方法が違うのなら、不偏の真理として「何か」を纏めてしまうのは、無理があるような気がします。ただ、ひとつの「方向」としてなら、理解できるかもしれません。また、理想としても・・・。
夢のない言い方かもしれませんが、どうなのでしょうか?。
ただ、納得については、あたしもそう思います。
あたしは「死ぬ時にまで後悔していたくない」という思いで、薬をはじめました。だからといって漠然と生きてしまうと、逆に後悔する事もあるような気がする。納得するためには、今もこれからも、常に自分が強く思い続ける事が必要なんだと思います。楽なようで、楽ではありません。
そんな中、共感しながら祈ってもらえる・・・、あたしが走って(歩いて?)いる事を見ていてもらえる・・・。そんな仲間がいてくれると思うと、心強く思います。

どうなのでしょうね。
私の言っている事は、単純に「理想論」なのかもしれません。それでも、何処かで。
むつみさんの今までのお話に多少なりとも(まあ、こちら側の一方的なものであるにせよ)共感や呼応した気持ちを持てていたのは、やはり私の中で「普遍」という概念があるからです。
状況や方法論はそれぞれで、まただからこそ「特別」であったりもするんだけれど、でも乱暴を承知で言えば、どこかで「客観性」という酷くしんどい作業を介入させる、いやしようとしている人には「普遍」の観念は存在するのではないかと。
幻想かもしれません。
私だって悟っている訳でもなければ、「強い」訳でも、救われている訳でもない。みっともなくダラダラと、整理できないのは相変わらずです。
それでも「昔」に戻りたいと思わないのは、やっとの事でその自分のみっともなさ、独りうっとりぶりを「客観視」できる「時間」を手に入れたからだと思うのです。その「時間」が「現在」のあたふたを咀嚼できる「知恵」になればいいと心底願いながら。

追伸
もうこのコメントはそろそろお腹一杯でしょうから・・・と思いつつ。
どこかで「客観視」を避けたい。いや、むしろ、酔ってしまいたいという時期でいらっしゃるのならば、余計なコメントだったと思います。失礼致しました。

>kazooさん♪
たぶん・・・あたしはkazooさんが思うよりも、ずっと低いレベルで悩んでいるんです。悩みに高い低いはないかもしれませんが、あたしに対するkazooさんの評価は、高すぎるような気がします。
最初のレスで「『姉はこんな感情が持てて良かった』と言ってるけど、『あたしはそこまで達観できない』」とお話しました。もうこの通り、ただそれだけなんです。
酔いたい訳じゃありません。もう苦しくて何も手に付かない。だけど、それじゃあ歩き出せないと、毎日あがいている状態です。一日でも早く抜け出そうともがいてる姿は、とても他人には見せられないくらいです。客観を避けたいというより、自分では見る事ができない、まだそんな余裕なんてないんです。
ただ、自分を抑えられないだけで、きっと大した事じゃないと思うんですよ。
あたしの言葉に共感していただけた事は、嬉しく思います。悩みを解決する方法を、いろんな形で教えていただいた事も、とてもありがたいし救いになります。
だけど、kazooさん。あたしはそんな大した人間ではありません。ちっぽけでくだらない、グズグズしてるだけで情けない。それだけの人間なんです。
甘えすぎですね、あたし・・・。

post a comment