リチャード・ブローティガンの3冊 〜Richard Brautigan〜
アメリカの鱒釣り (1967)
ビッグ・サーの南軍将軍 (1964)
愛のゆくえ (1971)
人並みには本を読んできたといえ、あたしはそれほど読書にのめり込む事はありませんでした。だから、中学・高校くらいの時は、本に人生を変えられるなんてないと思ってた。それなのに10代の終わりに読んだこの3冊の影響は、計り知れないものがあったんです。人生の中で幾つか大切な出会いがあったけど、あたしにとってリチャード・ブローティガンとの出会いは、掛け替えのないものの一つでした。
そんなリチャード・ブローティガンの本のうち3冊を、今日はご紹介させてもらいたいと思うんです。
アメリカの鱒釣り 〜Trout Fishing in America (1967)
リチャード ブローティガン (著), 藤本 和子 (翻訳)
一冊の本に纏められて出版されたのは『ビック・サーの南軍将軍』のが早いとはいえ、実際に執筆されたのが1961〜62年である事、そして当時ばらばらに雑誌に掲載された事もあって、『アメリカの鱒釣り』からブローティガンの歴史が始まったといえるでしょう。そして、この1冊によってブローティガンは評価されたといって良いんじゃないかと思うんです。
一見何の繋がりもない、時間の流れに沿ったわけでもない47の章からなる小説。始めは、エッセイか短編集でも読んでるような感覚を持たれるかもしれません。なにしろ、一つ目の章のタイトルが『アメリカの鱒釣りの表紙』だしね(笑)。だけど、じわじわとボディ・ブローのように効いてくるっていうのかな?。読み進むにつれて、全てが有機的に関係している事に気がつかれると思います。
そして、どの章のベースにもあるのは『終末』。『墓場の鱒釣り』が『ヘイマン・クリーク』が『クリーヴランド建造物取壊し会社』が、全てが終わりを感じさせるような気がします。アメリカそのものの崩壊といってもいいかもしれない。それなのにブローティガンは淡々としてそれを見つめている。諦めてる?・・・うん、それも確かにあるかもしれません。だけど、それを受け入れた上で、彼は人生を歩いているような気がするんです。
小説の中で『わたし』が語っています。特に大きな事件の話をするわけでなく、身の回りに起きた事や考えた事、自分が感じた事を静かに語っている。その語られる言葉を通して、あたしは彼の考え方を理解し、そして自分の考え方を再発見するキッカケになったんじゃないかと思うんです。
また『アメリカの鱒釣り』(というか、ブローティガンの殆どの作品)は翻訳者に恵まれました。藤本和子の訳なくして日本での評価はなかったと思います。元々が詩人だったブローティガンの文章は、本来は原書で読むべきなのでしょう。だけど、彼女のおかげで日本人は楽しむ事ができたんだと思う。また10ページに及ぶ訳者注、29ページに及ぶ訳者あとがきも必見!。無駄・・・じゃないんですよね。ブローティガンをもう一歩理解する上で、これほどの資料はないと思うくらいですから。
そのあとがきの最後に書かれている言葉があります。『かれの作品をいくつか読むのならアメリカの鱒釣りから始めるのがいいと思う。また、もし、ブローティガンの作品はひとつだけしか読まないというのなら、アメリカの鱒釣りがいいと思う。鱒釣りにはブローティガンのいいところが、まとめてつまっているように感じられるからだ。』・・・うん、あたしもそれに賛成します☆。
ビッグ・サーの南軍将軍 〜A Confederate General from Big Sur (1964)
リチャード ブローティガン (著), 藤本 和子 (翻訳)
この小説はルーツ・ロックです。この乾いた土の匂いが、照りつける太陽の日差しが、リー・メロンの豪快な行動が、夢の終わりを悲しむ気持ちが、それでもまだ夢を見続けようとする心が、その緊張感が、スピード感が、もう、その全てがルーツ・ロックと呼ばなければ、何と言ったらいいのか考えてしまうほどなんです。
戦争の話ではありません。南北戦争で活躍したメロン将軍の末裔を自称するリー・メロン。そして彼を取り囲む『わたし』が、イレーヌが、エリザベスが織りなす現代の小説です。そして舞台になる『ビッグ・サー』という名前は、アメリカの物質文明を否定する代名詞であり、最後に残された楽園であると言われています。
そう、その通りに物質文明の拒否が一番強いかもしれません。だって、理想を追うためにビッグ・サーに移り住み、世捨て人のような生活をしている。食べるものといったら猫でさえそっぽを向く鯖や、石ころのように固くて味のないパン。決して組み立てられる事のないオートバイ。荷台のドラム缶から給油するトラック、蛙が煩いからって池に鰐を放り込むリー・メロン。伝道の書の句読点を数える『わたし』。だけどね、彼等は幸せそうなんですよね。幸せなんてそれぞれだって思えるんです。
そして、エンディングへ向かってのスピード感。最後はもう嵐か竜巻に巻き込まれたような加速を見せるんだけど、そこに向かうまでのひとつひとつのエピソードが、少しずつ加速を見せてくれるようで、この小説の楽しみのひとつかもしれません。
あたしはこの『ビッグ・サーの南軍将軍』に、相当強い影響を受けました。確かに読んだのが10代の終わり頃だったから、感受性は豊かだったとは思います。だけど、これを読んだ瞬間、全てが音を立てて組み上がっていったくらいに感じたんです。世の中の仕組も、それに対して不満がある事も、それがどうしようもならない事も、ホントに全ての事が一瞬にして理解できたような気がしたんですよね。
・・・まあ、そういう風に感じちゃったから、こんなになっちゃったのかもしれませんけどね(笑)。それでも、それぞれの自由でいいんだって、それぞれの幸せで良いんだよって気付かせてくれたのが、この本だったような気がするんです。
愛のゆくえ 〜The Abortion: An Historical Romance 1966 (1971)
リチャード ブローティガン (著), 青木 日出夫 (翻訳)
『アメリカの鱒釣り』から読むべきだといいながら、あたしが最初に読んだブローティガンの作品は実はこの『愛のゆくえ』でした。うん、その頃文庫になってたのはこの本だけだったんですよね。おそらく彼の作品の中で、最も小説らしい小説。そして、数少ない藤本和子訳ではない小説です。だけど、当たり前の話同じブローティガン作品なわけで、同じ色合いになるのが面白く思えました。
この小説の舞台は図書館です。だけど普通の図書館ではなくて、『人生の敗北者が自分の書いた本を持ち込んでくるところ』なんですね。誰に読まれる事もない作品を書き上げて、ただ、その本をこの図書館に置いてもらう事で満足する。うーん、もしかしたら今の時代だとネットがそうなのかもしれませんね。誰に読まれる事はなくっても、自分の書いた文章をブログにアップする・・・って、あたしか?(笑)。
その図書館員である主人公が、本を持ち込んできた女性を恋に落ち、彼女はあっというまに妊娠します。そして、堕胎する為にメキシコへ向かうという物語なんですね。ところが、ドラマティックな盛り上がりが全然ない。人生でも小説でも堕胎は一大事件でしょう。それなのに淡々と物語が展開するわけで、その静けさにあたしはとても驚いたのを覚えています。
だけど、やっぱりさすがブローティガン。スピード感が絶妙です。だんだん加速をしてきて、それにつられて一気に読んじゃうんですよね。最初の静けさは加速の為にあったのかって思っちゃう。それと、状況描写にも惹き付けられます。細かいんですよ。ホンの一瞬の出来事、気にしなければ通りすぎてしまうような事でも、彼の感性で見つめたらこうなるのかと感心してしまうほどなんです。
それと村上春樹って、ブローティガンの子供に思えるほど彼の影響が強い(藤本和子の影響も)と思うけど、この『愛のゆくえ』が一番村上春樹っぽいかな?。彼の作品と比べてみても面白いかも(笑)。あと、ブローティガンでの作品の中では、一番読みやすいかもしれないな。『アメリカ』がダメだった人にもおすすめです♪。
ブローティガンは1984年に、50歳の誕生日を目前に自殺してしまいます。
『アメリカの鱒釣り』で時代の寵児のようにもてはやされた。しかし、この3作の他にもファンタジー色の強い『西瓜糖の日々 (1968)』や短編集『芝生の復習 (1973)』(これを読むとアメリカの鱒釣りが短編集じゃないという事がよく分かります)などではともかく、それ以降の作品は発表する毎に評価を落としてしまいます。最後の『ハンバーガー殺人事件』なんかは、全く売れなかったといってもいいくらいだそうです。
20年の作家生活で発表した小説は、僅か10あまり(詩集が同じくらいあります)。詩人の彼に小説は辛かったのかな?。それとも、理想に現実が追いつけなかったのかな?。あたしはもっと色々な世界を、ブローティガンに見せてもらいたかったと思っているんですよね。
むつみさん、こんばんわ。ブローティガンにも造詣が深いんですね。僕は「愛のゆくえ」しかまともに読んでいませんけど、「愛のゆくえ」はとても優しくてぐっとくる作品だったと記憶しています。「アメリカの鱒釣り」は途中で挫折してますw むつみさんの解説を読んで、もう一度トライしてみようかなって思いました。いまは出張中で叶わないけど、帰ったら本棚を探してみよう。まだあるはずだ。。。
>onomichi1969さん♪
造詣が深いって事じゃなくてですね。もう、素直にのめり込みましたです。
特にこの3冊は毎日のように持ち歩いてたし、初期のブローティガンは原書(っていってもペーパーバック)も揃えました。まあ、読み過ぎて全部覚えていましたからね。英語が苦手なあたしが目を瞑っても翻訳できるくらいになっていて、揃える意味はなかったかもしれませんけども(笑)。
『愛のゆくえ』の優しさは『わたし』の優しさ、ブローティガンの優しさ・繊細さなのでしょう。だけど、それは弱さや臆病さの裏返しかもしれないとも思うと、素直に受け入れちゃっていいものかどうか難しいトコだとも思います。
ぜひぜひ『アメリカの鱒釣り』に再トライなさって下さい。一つずつ噛み砕いて、その場で全部理解しようとすると挫折するのかもしれませんね。一度読み終えてからもう一度読み返すつもりで、サラッと読んじゃってもいいのかも。まあ、二回読む必要はないんですけどね♪。